四国八十八ヶ所お遍路の旅。【80番札所】白牛山 千手院 國分寺(はくぎゅうざん せんじゅいん こくぶんじ)
88カ所内に国分寺は4カ所あります。こちらは香川県高松市の国分寺になります。お寺の東側にある市が運営する高松市讃岐国分寺資料館も合わせて見学することで、より国分寺を知ることができます。
山門を入れば参道の両脇に松並木がとても立派で、夏でも木陰が気持ちの良い落ち着く空間です。
全国にある国分寺の中でも、讃岐の国・国分寺は由緒があり広く見ごたえのあるものでした。お遍路巡りでなくとも近くに寄った際には、是非立ち寄ってもらいたいお勧めスポットです。
国分寺
本尊:千手観世音菩薩
本尊真言:おん ばさら たらま きりく
宗派:真言宗御室派
本尊開帳は60年に一度で次回は2040年です。
2023年10月に、空海の大日如来像を再現し公開する予定です。
ご詠歌
くにをわけ 野山(のやま)をしのぎ寺々(てらでら)に まいれる人を助けましませ
本尊の千手観音菩薩をたたえる唄です。
「国々の野山の厳しい道を苦労しながら歩き、寺々に参った人を観音菩薩さまはお慈悲で助けてくださることだろう」と詠まれています。
初句の「くにをわけ」は”国分寺”の国分をかけていると考えます。
場所
公式サイト:https://sanukikokubunji.jp/
宿坊:なし
電話:087-874-0033
香川県高松市国分寺町国分2065
ホームページでは駐車場20台と書かれていますが、体感的にはもう少し狭く感じました。駐車場が無料なのは嬉しいですね。
周りに有料駐車場が無いので、JRを利用すればJR国分駅から徒歩4分と近いです。
車で来られる場合は、府中湖インターチェンジから9分。高松檀紙インターチェンジから12分です。
御朱印
右上に【四国八十番】、中央に千手観音の梵字のキリーク、左下に【千手院】の朱印があります。
歴史
741年(天平13年)の聖武天皇の勅願により建立された68カ所の国分寺の中の1つであり、756年以前に行基が十一面千手観世音菩薩を本尊として開基したとされています。
弘仁年間(810~823)、弘法大師が本尊の千手観音菩薩像を修理して霊場に定めました。
1573年、天正の兵火により本堂と本尊と鐘楼以外はほとんど焼失。その後、高松藩主・生駒氏や松平氏等に崇敬されて庇護されて少しずつ復興していきました。
・1901年、本堂が国宝に指定されています。
見どころ
奈良時代の創建当時の遺構をよく残したお寺で、旧境内の全域が四国で唯一の国の特別史蹟です。
・本堂、本尊、銅鐘が国の重要文化財に指定されています。
・山門を抜ければ左右に1~88の札所ご本尊が刻まれた石像が並んでおり、ミニ四国88カ所と呼ばれています。実際に四国の全ての札所を巡礼したと同等のご利益が得られるとされています。
梵鐘(ぼんしょう)
香川町の香東川上流に、かつて底なし沼と言われた百々淵(どうどうふち)があり、そこには大蛇が住み着いていました。
弓の名手だった別子八郎という青年が大蛇を退治しようとしたところ、矢を当てても「カン」と音がするだけで、大蛇に矢は刺さりません。
なんと大蛇は頭に鐘をかぶっていたのです。
なんとか別子八郎は大蛇に矢を当てることに成功し、大蛇は血を流しながら逃げ去ったそうです。
大蛇を退治できたのは観音様のおかげと考えた別子八郎は、大蛇がかぶっていた鐘を国分寺に寄進しました。
その清らかで美しい鐘の音を気にいった高松藩主の生駒一正は、鐘を高松城に持ち帰ります。
しかし高松城に運んだとたんに音は鳴らず、城内外で疫病が流行しました。高松藩主生駒一正公も病に倒れ毎晩、鐘が「国分寺へいぬ いぬ(国分寺にかえりたい)」と泣いたそうです。
誰が作ったのか「鐘がものいうた 国分の鐘が もとの国分へ いぬというた」という俗謡が流行しました。
祟りに違いないと恐れられ、鐘は国分寺に戻されました。それからは疫病は治まり鐘は国分寺で美しい音を響かせたと言います。
讃岐随一の名鐘として親しまれています。四国最古の梵鐘とされ、重要文化財に指定されています。
次の81番札所「白峯寺」まで約14㎞(車で約30分)です!