四国八十八ヶ所お遍路の旅。【81番札所】綾松山 洞林院 白峯寺(りょうしょうざん どうりんいん しろみねじ)
白峯寺が建つ白峯山には、「相模坊」という心優しい天狗が住むという言い伝えがあります。
白峯寺
本尊:千手観世音菩薩
本尊真言:おん ばざら たらま きりく
宗派:真言宗御室派
ご詠歌
霜寒く 露白妙(つゆしろたえ)の 寺のうち 御名(みな)を称(とな)ふる 法(のり)の声々
「白妙」はこうぞ(くわ科の植物)の繊維で織った白布のことです。白峯寺の”白”、白妙、霜など白い色にかけています。
「冬の日に霜露が白妙のように白峯寺を白くそめる。早朝から寺の中では多くの人々が仏の念仏を唱えている声が響き渡っています。」と詠まれています。
場所
公式サイト:http://www.shiromineji.com/
宿坊:あり(不定期・団体のみ・要予約)
電話:0877-47-0305
〒762-0016 香川県坂出市青海町2635
200台ほど停められる無料の駐車場があります。
坂出インターチェンジから車で約20分。JR坂出駅よりタクシーで約20分です。
御朱印
歴史
815年(弘仁6年)、弘法大師とその甥の智証大師が創建したと言われています。弘法大使は白峯山の山頂に、如意宝珠(にょいほうじゅ)を埋めて井戸を掘り、衆生済度を祈願して堂宇を建立しました。
のちに智証大師が山頂で光を見つけて登頂したところ、山の神である白峯大権現の信託を受け、瀬戸内海に現れた光明に耀き芳香薫ずる霊木で高さ3尺3寸の千手観音像を彫造し、これを本尊にして佛堂を創建したと伝えられています。
白峯寺は保元の乱で敗れ、讃岐に流罪となった崇徳上皇が崩御した地でもあります。
「啼けばきく きけば都の恋しきに この里過ぎよ山ほととぎす」といううたを詠みましたが、都へ帰るという崇徳上皇の願いが叶えられることはありませんでした。御遺詔によって白峯の稚児ヶ嶽(ちごがだけ)で荼毘に付され、御陵が営まれました。
上皇は深い悲しみと恨みを持ちながら亡くなったといい、都では異変が相次いだため、代々の天皇、公卿、武将も恐れ崇め奉り、御府荘園を寄せて菩提を弔い、或いは法楽、詩歌、種々の霊器宝物を奉納して慰霊の誠を尽くしました。
特に第100代天皇の御小松帝は上皇の霊を祀る法華堂に「頓証寺」の勅額を奉納し尊崇の意を表しました。
仁安元年、上皇と親交のあった西行法師が慰霊のために御廟に参詣した際に、上皇の霊と歌を詠み交わした話は、上田秋成の『雨月物語』の伝説でも有名です。また境内には上皇の悲話を伝える玉章木(たまずさのき)もあります。
突然の来客があり和尚の命により、小僧さんが豆腐を買いに出かけたところ、突然何者かに背中を押され、空を飛ぶような感覚になりました。そして次の瞬間、田舎では見ることの出来ないような上等な絹豆腐を受け取り、元の場所に立っていました。
これは突然の買い物に走る小僧さんを気の毒に思い、相模坊天狗が助けてあげたのだと語り継がれる話です。
見どころ
【勅額門・頓証寺殿】勅願門には1414年(応永21年)に後小松天皇が奉納した勅額が掲げられています。高松藩主・松平頼重が造営した勅額門と頓証寺殿は、装飾・構造に非常に手が込んでいて、和様を基調とし、傑出した特色を持つとても貴重な建物です。
天皇・神・仏の三者を一堂で祀る形式は、全国的にも他に類をみないものです。
【干支守り本尊】境内のお堂ごとに、干支の守り本尊がそれぞれに祀られています。本堂、大師堂を参拝した後に、自身の干支の守り本尊が祀られているお堂を参拝する人が多いです。
【相模坊天狗像】
次の82番札所「根香寺」まで約8㎞(車で約15分)です!