四国八十八ヶ所お遍路の旅。【86番札所】補陀洛山 清浄光院 志度寺(ふだらくさん せいじょうこういん しどじ)
志度寺の開創は1400年ほど前と言われており、四国霊場屈指の由緒あるお寺です。
志度寺
本尊:十一面観世音菩薩
本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
宗派:真言宗善通寺派
ご詠歌
いざさらば 今宵はここに 志度の寺 祈りの声を 耳に触れつつ
「いざさらば」とは人と別れる時に使う言葉です。「死途」と「志度」をかけているのでしょう。
「志度寺のし、今夜ここで祈りのを聞きながら死途の旅に出ようと思います。」と詠まれています。
場所
公式サイト:なし
宿坊:なし
電話:087-894-0086
〒769-2101 香川県さぬき市志度1102
無料の駐車場があります。
御朱印
歴史
625年(推古33年)、海洋技能集団海人族の凡園子(おおしそのこ)が、湾に流れ着いた霊木を刻んで十一面観音像を造り、精舎を建てたのが起源とされています。
その後、藤原鎌足の息子の藤原不比等が、妻の墓を建立して開基し「死度道場」と名付けました。
693年(持統7年)、藤原不比等の息子の藤原房前(ふささき)は、行基と共に堂宇を拡張し学問の道場として再興しました。志度寺には房前が母の為に建立した墓もあります。
能楽の秘話『海人』の舞台としても知られる寺で、その原話は藤原不比等がこの地の海女と恋に落ちたことに由来すると言われています。
不比等は竜神に奪われた妹ゆかりの玉を取り戻すため、身分を隠して志度を訪れました。海女との間に房前をもうけ、数年後、不比等から素性と目的を聞いた海女は、房前が世継ぎになることを頼み、海に潜ります。
海から上がった海女は手足が食いちぎられながらも、乳房の中に奪い返した玉を隠していたといいます。
『続日本記(しょくにほんぎ)』には、藤原氏は海人族と婚姻を結び、海洋の支配権を獲得したとされています。
室町時代には四国管領の細川氏の寄進により繁栄します。その頃に造られた優美な曲水式庭園も残っています。戦国時代には荒廃しましたが、藤原氏の末裔の生駒親正による支援や、1671年(寛文10年)の高松藩主・松平頼重の寄進などにより再興されました。
志度は江戸の発明家「平賀源内」の
生誕地で、記念館が近くにあるよ。
見どころ
【仁王門】金剛力士像は運慶の作と伝えられていて、全国的にも珍しい三棟造りです。本堂とともに讃岐藩主の松平頼重により寄進されたもので、国の指定重要文化財です。
【曲水式庭園・無染庭(むぜんてい)】「曲水式庭園」は、天に向かいそびえる力強い仕組みが印象的な室町時代の作庭です。
書院の正面に作庭された無染庭は森重三玲の作品で、禅式枯山水庭の定型を採り竜安寺を感じさせます。
【海女の墓】藤原房前が母の為に建立したといわれる「海女の墓」が約20基並んでいます。海女の命日である7月16日には「志度寺の十六度市」が開催され、この日は年に一度、本尊十一面観音の御開帳を行っています。
次の87番札所「長尾寺」まで約7㎞(車で約15分)です!