四国八十八ヶ所お遍路の旅。【44番札所】菅生山 大覚院 大寶寺(すごうざん だいかくいん だいほうじ)
大寶寺は四国霊場八十八ヶ所のちょうど半分に当たり、「中央所」とも呼ばれています。前札所の明石寺からの道のりは約80㎞にもおよび、峠越えの難所が続きます。いかに健脚な人でも一日で二つの札所を巡るのは難しい、いわゆる「遍路ころがし」の霊場です。
山門には四国霊場でも最大級のわらじが奉納されています。
大寶寺
本尊:十一面観世音菩薩
本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
宗派:真言宗豊山派
ご詠歌
今の世は 大悲のめぐみ 菅生山(すごうざん) ついには弥陀の 誓いをぞまつ
菅生山は大宝寺の山号であり、「めぐみ」が「すごう(すごい)」という意味も含まれていると思われます。「ついには~まつ」で最後には期待するの意味。
「仏菩薩(ぶつぼさつ)の大悲はすごい。その菅生山(すごうさん)において、最後には阿弥陀如来の誓いによってわれは救われることだろう。今の世はそれを期待しよう。」と詠まれています。
場所
公式サイト:なし
宿坊:あり(150人・要予約)
電話:0892-21-0044
〒791-1205 愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生2-1173-2
無料駐車場があります。
松山インターチェンジから国道33号線を久万方面へ。久万美術館を過ぎたら左折です。
御朱印
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歴史
縁起によれば元々は百済の聖僧が携えてきた十一面観音像をこの山中に安置していました。
701年(大宝元年)、飛鳥時代に入り狩人の兄弟(明神右京と隼人)がその十一面観音像を見つけ、草庵を結んで尊像を祀りました。その噂を聞いた文武天皇が勅令を出して寺院を建立しました。時の元号にちなんで「大寶寺」と名付け創建されたそうです。
およそ120年後の822年(弘仁13年)、弘法大師がこの地を訪れ、密教を修法されて四国霊場の中札所と定めました。これを機に天台宗だった宗派を真言宗に改めます。
その後、度重なる焼失と再興を繰り返します。
1156~1158年(保元年間)に後白河天皇が脳の病気になられた際に、勅使がこの山に病気平癒を祈願して成就されました。多額の寄進と併せて僧堂を建立し、妹宮を住職にして勅願時としました。
見どころ
【掘出観音】1934年(昭和9年)に大寶寺の山中の樹齢千年ほどと思われる木の根元から見つかった、金銅製の観音像が祀られています。観音像は法華経が一字一石に書かれた約130枚の石に覆われて埋められていました。
身体から病気や悪霊を掘り起こしてくれる有難い仏さまとして信仰されています。
【陵権現】後白河天皇の妹宮をお祀りしています。頭の病気にご利益があるとされています。
次の45番札所「岩屋寺」まで約13㎞(車で約20分)です!