四国八十八ヶ所お遍路の旅。【49番札所】西林山 三蔵院 浄土寺(さいりんざん さんぞういん じょうどじ)
浄土寺は平安中期に活躍した念仏聖(ひじり)・空也上人と縁が深いお寺です。
浄土寺
本尊:釈迦如来
本尊真言:のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
宗派:真言宗豊山派
ご詠歌
十悪の わが身を棄てず そのままに 浄土の寺へ まいりこそすれ
十悪とは、殺生(せっしょう)・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(じゃいん)・悪口(あっこう)・両舌(りょうぜつ)・綺語(きご)・妄語(もうご)・貪欲(どんよく)・瞋恚(しんい)・愚痴(ぐち)をいいます。
「わたしは十悪を捨てずに、そのままこの浄土寺に参ったけれど、帰る時にはその十悪を捨てて帰ることができました。」と詠まれています。
信仰心の全く無いものがお参りしても、帰るころには浄土に生まれることを確信するほど、有難いお寺であるということなのでしょう。
場所
公式サイト:なし
宿坊:なし
電話:089-975-1730
〒790-0925 愛媛県松山市鷹子町1198
駐車場
普通車 | 20台 | 有料 |
バス | 4台 | 有料 |
松山インターチェンジから国道33号線を松山市街へ向かい、天山交差点を右折して環状線に入ります。
御朱印
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歴史
天平年間(729~749)に聖武天皇・皇女の孝謙天皇の勅願寺として恵明(えみょう)上人が、行基が彫像した釈迦如来像を本尊として納めました。開創した当時は法相宗の寺院だったとされています。
その後、弘法大師がこの地を巡錫(じゅんしゃく)した際に、荒廃していた伽藍を再興し真言宗に開創して四国霊場と定めました。寺域は八丁四方におよび66坊の末寺を持つほど栄えました。
957~961年(天徳年間)に3年間、空也上人もこの地に滞在しました。空也上人は四国を巡歴し念仏の重要性を説いて村人たちの教化に努めた僧侶です。荒れた道を修繕し橋を架け、井戸を掘っては民衆を救ったといいます。
1192年(建久3年)には源頼朝が河野通信(みちのぶ)とともに堂塔を修復します。
一遍の祖父でもある通信は西国の豪族ながら源氏に味方して、屋島の戦いや壇ノ浦の戦いに水軍を率いて参加しています。
幕府の有力御家人となりますが、一遍の頃は衰退し、その後は勢力を盛り返して河野氏は伊予の守護大名になります。
1416年(応永23年)に伽藍が兵火で焼失します。しかし1469~1487年(文明年間)に領主の河野通宣(みちのぶ)によって再建され、現在の本堂はこの時のものです。
内陣の厨子には16世紀前半の落書きが残り、その中には「辺路」の文字もあり、お遍路の歴史を知る貴重な史料となっています。
見どころ
【落書き】本堂厨子には室町時代から江戸時代にかけられたものと思われる落書きがあります。貴重な歴史資料のひとつです。
【空也上人立像】寺には木造肖像彫刻の傑作として名高い、空也の自作とされる空也上人像が安置されています。痩身で左手に鹿杖(かせづえ)を突き、右手に撞木(しもく)を持って鉦(かね)を叩きながら「南無阿弥陀仏」と唱える上人の口からは六体の阿弥陀小化仏があらわれています。国の指定重要文化財。
次の50番札所「繫多寺」まで約2㎞(車で約5分)です!