四国八十八ヶ所お遍路の旅。【51番札所】熊野山 虚空蔵院 石手寺(くまのさん こくうぞういん いしてじ)
石手寺は境内のほとんどの堂塔が国宝や国の重要文化財に指定されている名刹です。
「石手のお大師さま」として弘法大師信仰の中心として地元の参詣人、お遍路さん、観光客が数多く訪れています。その多くが子宝再生石、元気再生石を持ち帰るそうです。
石にゆかりのあるお寺で「意思」にも通じ、
何事も諦めずがんばれという願いがあるよ!
石手寺
本尊:薬師如来
本尊真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
宗派:真言宗豊山派
ご詠歌
西方を よそとは見まじ 安養(あんよう)の 寺に詣(まい)りて 受(う)くる十楽(じゅうらく)
「安養」とは安養浄土の略で極楽の意味です。「十楽」とは極楽浄土を味わうことができる十種の喜びのことをいいます。
「西方には極楽世界があると言われるが、そこには10の楽しみがあるという。わざわざよそまで行って見なくてもここ安養の寺で極楽の十楽は受けることができるよ。」
場所
公式サイト:http://nehan.net/
宿坊:なし
電話:089-977-0870
〒790-0852 愛媛県松山市石手2-9-21
無料駐車場があります。
松山インターチェンジから国道33号線を松山市街方面へ向かい、天山交差点を右折して環状線に入ります。国道317号線に入り最初の交差点を左折するとあります。
御朱印
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歴史
境内から出土された瓦により、670年(天智9年)ごろ法隆寺系統の荘園を基盤として建てられた考証があります。
728年(神亀5年)に伊予の豪族の越智玉純が二十五菩薩の光臨の夢をみて、この地が霊地であると感得し熊野12社権現を祀ったのを機に堂宇を建立し、聖武天皇の勅願所となりました。
翌年に行基がこの地を訪れて2尺5寸の薬師如来像を彫像して開基し、法相宗の安養(あんよう)寺と名付けました。。
その後の鎌倉時代に四国遍路開創の御門三郎伝説により、その再生石を安置し寺名を「石を手にして再生する寺」=石手寺と改めたと伝わっています。
ある日門前に一人の薄汚れた僧が「どこでもよいから一晩泊めてくれませんか」と懇願しました。衛門三郎は「わしは忙しい、仕事の邪魔だ、汚いものめ、働かぬからだ」と突き飛ばすと、僧が持っていた托鉢の鉢は落ちて八つに割れてしまいました。その僧は実は弘法大師で落胆して去りました。
その後、三郎の八人の男子がことごとく亡くなりました。衛門三郎は最愛の子を亡くし何も手につかなくなり、働き者であった彼はいつしか「強欲非道の怠け者」と周りから言われるようになりました。ついに彼は家を捨て身を忘れ、あの時の僧に会いたいと行方をくらまします。
四国をまわること21回、いつしか三郎の姿はあの薄汚れた僧に似ています。ついに焼山寺の麓で病に倒れとき、弘法大師が枕元に現れ「よくぞ改心した。望みがあれば叶えよう」というと三郎は「生まれ変われるものならば、領主に生まれ人を助けたい。今度こそはお泊めしたい」と言いました。弘法大師は一寸八分の石に衛門三郎と刻み彼の手に授けました。
この地の豪族河野息利に男子が生まれたが右手は握ったままで開きませんでした。安養寺で祈願したところ手の中から「衛門三郎再来」と書かれた小石が出てきて、この石を寺に納めました。
見どころ
石手寺の境内のほとんどの堂塔が、国宝や国の重要文化財に指定されています。
国宝の仁王門は1318年(文保2年)の建立で、堂々たる二層入母屋造りの本瓦葺きです。その他本堂をはじめとして三重塔、鐘楼、五輪塔、訶梨帝母天堂、護摩堂の建造物や、愛媛県最古とされる銅鐘などが重要文化財とされています。
【元気石・再生石】御門三郎伝説にまつわる再生石が祀られています。再生元気石をなでると元気力を得られるといいます。
【境内風景】境内は広く三重塔を中心に曼荼羅界を表しています。
左回りに巡れば心が安らかになり、右回りでは人の痛みがわかるとされています。
次の52番札所「太山寺」まで約13㎞(車で約30分)です!