四国八十八ヶ所お遍路の旅。【62番札所】天養山 観音院 宝寿寺(てんようざん かんのんいん ほうじゅじ)

2023年11月20日

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宝寿寺

本尊:十一面観世音菩薩

本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか

宗派:高野山真言宗

ご詠歌

さみだれの あとに出(いで)たる 玉の井は 白坪(しらつぼ)なるや 一のみや川

「玉の井」は玉のように澄んだ清水のことです。初めは白坪の里に建立されましたが、度重なる洪水により上流の現在の場所に移動しています。

「五月雨が降って、そのあと再び地上にあらわれた玉の井(清水)は、元あった白坪の里の一宮に川のように流れています。」と詠まれています。

場所

公式サイト:なし

宿坊:なし

電話:0898-72-2210

〒799-1101 愛媛県西条市小松町新屋敷甲428

無料の駐車場があります。(大型車2台)

御朱印

画像がアップされるまで少々お待ちください。

歴史

往時は伊予三島水軍の菩提寺として、また大山祗神社の別当寺として栄えていたそうです。

宝寿寺は聖武天皇の勅願により、この地に伊予の一の宮神社が建立され、道慈律師が法楽所としての別当寺を創建したのがはじめとされています。(法楽所とはお経をあげる場所)

この時の天皇は『金光明最勝王経』を奉納して、寺名を「金剛宝寺」と名付けました。

場所は現在の地ではなく、中山川下流の白坪という地にあったと伝えられています。

大同年間(806~810)に弘法大師が訪れ、十一面観世音菩薩像を彫像しこれを本尊として、寺名を「宝寿寺」と改めて霊場としました。本尊の十一面観世音菩薩は弘法大師が光明皇后をモデルにして作ったものと言われています。

夫人が難産で苦しむのを見て国司の越智氏が弘法大師に祈念を頼みに来ました。弘法大師は本尊に祈願した霊水・玉ノ井で加持したところ、夫人は玉のような男児を無事に出産したことから、本尊は安産の観音様としても信仰されました。

中山川の度重なる洪水の被害を受け、堂宇が再建されました。山号の「天養山」は天養2年(1144年)に建立されたことから名付けられています。

1636年(寛永13年)、宝寿寺が現在地付近に移され宥伝上人によって再興。

1679年(延宝7年)、洪水を避けるため藩主の命により、伊予一宮寺が宝寿寺の横に移転。

明治初期の廃仏毀釈により宝寿寺は神社と分離され廃寺になりましたが、大石龍遍上人によって1877年(明治10年)に神社の南隣に移され再興しました。

色々な事情で場所が何度も変わっているんだね。

1921年(大正10年)に予讃線鉄道工事のためにさらに南側の現在の地に移転されました。

見どころ

境内には遍路の中でもほっと一息つける日本庭園のような風情があります。

入口に立つ「一國一宮別当寶壽寺」の石の遍路表示は、四国八十八ヶ所ので最古と言われています。山門の前に多くの江戸時代の標識が建っているのが印象的です。

【厄除け大師】、【道標】

【十一面観音立像】移転時に地元の人々によって奉納されました。安産祈願にご利益があるとされています。

「大正12年3月 一切女人・国家安穏・諸願成就・安産守護のために」と刻まれています。

次の63番札所「吉祥寺」まで約2㎞(車で約5分)です!

愛媛県

Posted by いけち