四国八十八ヶ所お遍路の旅。【11番札所】金剛山 藤井寺(こんごうざん ふじいでら)
藤井寺の本尊は何度も焼失の危機にありながら無事に守られ、「厄除け薬師」として親しまれています。次の12番札所までの遍路道は山道で険しく「遍路ころがし」と呼ばれています。遍路道を体験したい方は、11番札所から12番札所まで歩いてみるのがおすすめです。
藤井寺
本尊:薬師如来
本尊真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
宗派:臨済宗妙心寺派
ご詠歌
色も香(か)も 無比中道の 藤井寺 真如(しんにょ)の波の たたぬ日もなし
藤の花は色と香りは別々の本体を有するが、その本質は分けることの出来ない一体のもの。「一色一香無非中道」とは『摩訶止観(まかしかん)』の中の言葉で、どのような存在にも中道の心理が備わっており、天台宗の基本的な思想のひとつです。
「一色一香中道にあらざるなし」、本来は別々のものだがその本質は一体ということだ。藤井寺の美しい藤波を見ると、真実の姿が見えないことはありません。」と詠まれています。
場所
公式サイト:無し
宿坊:なし
電話:0883-24-2384
〒776-0033 徳島県吉野川市鴨島町飯尾1525
門前にある「本家ふじや」さんの駐車場を利用するようになります。
御朱印
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歴史
天正、兵火により全山を焼失。
815年(弘仁6年)、弘法大師が42歳の時に自らの厄難除けと衆生(しゅじょう)の安寧を願って薬師如来像を刻み、堂宇を建立しました。三方を山に囲まれ渓流の清らかなこの地に心を惹かれ、弘法大師はさらに約200m上の八畳岩に護摩壇を築き17日間の修法を行った後、堂塔の前に五色の藤を植えたことから藤井寺と号したと伝わっています。
真言密教の道場として栄え、七堂伽藍を構える壮大な寺院として栄華を極めましたが、1573~92年(天正年間)の兵火により全山を焼失して衰退しました。
江戸時代前期1674年(延宝2年)に、阿波藩主が帰依していた臨済宗の南山国師によって宗派が臨済宗に改められました。1832年(天保3年)にも火災に遭い、本尊以外は全焼しています。現在の伽藍は1860年(万延元年)に再建されたものです。
ご本尊の薬師如来像は国の重要指定文化財で八十八ヶ所最古の仏像という説があります。また兵火や数々の火災を免れてきたため厄除け薬師として信仰をあつめています。
見どころ
【雲龍の天井画】、【藤の古木】。
【遍路ころがし】次の札所の焼山寺に行くまでには細く険しい山道を約13㎞進まなければなりません。
女性の足で9時間ほどかかるという難所です。
弘法大師が修行中に接した遺跡や石仏や標石が今でも残されています。
次の12番札所「焼山寺」まで約43㎞(車で約1時間半)です!