四国八十八ヶ所お遍路の旅。【50番札所】東山 瑠璃光院 繁多寺(ひがしやま るりこういん はんたじ)
繁多寺は厄除けと商売繫盛の御利益を求めて、多くの人が訪れるお寺です、
繁多寺
本尊:薬師如来
本尊真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
宗派:真言宗豊山派
ご詠歌
よろずこそ 繁多なりとも 怠らず 諸病なかれと 望み祈れよ
「はんた」は用事が多く忙しいことを意味し、寺名とかけています。ご本尊の薬師如来の第七願「除病安楽」についておりこんでおり、「用事がいろいろ多く忙しくても、怠らず諸病なきように薬師如来に望み祈りなさい。」と詠まれています。
場所
公式サイト:なし
宿坊:なし
電話:089-975-0910
〒790-0912 愛媛県松山市畑寺町32
無料駐車場があります。
松山インターチェンジから国道33号線を松山市街方面へ向かい、天山交差点を右折して環状線に入ります。松枝交差点を越えて一つ目の交差点を右折し、バス停畑寺から600mほど先にあります。
御朱印
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歴史
孝謙天皇の勅願により、行基が3尺(約90㎝)の薬師如来像を彫像して堂宇を建立し、開基したと伝えられています。寺名は「光明寺」と名付けられました。
その後の810~824年(弘仁年間)に弘法大師がこの地を巡錫(じゅんしゃく)した際に、寺名を「東寺・繁多寺」と改め霊場と定めました。
1279年(弘安2年)には御宇多(ごうだ) 天皇の勅令により、聞月上人により蒙古軍撃退の祈祷も行われました。この時、河野通有(みちあり)が1281年の弘安の役で活躍し、後に伊予国守護となる基礎を作りました。
また鎌倉時代の遊行僧で時宗の開祖・一遍上人は青年期に大宰府から伊予に帰郷した際にこの地で修行をし、晩年の1288年(正応元年)には亡父の如仏が所蔵していた『浄土三部経』を奉納しました。
天皇家の菩提寺である京都・泉涌寺とのゆかりが深く16弁菊のご紋の瓦も残っていて、1395年(応永2年)には後小松天皇の勅命により、天皇の菩提寺である京都東山の泉涌寺(せんにゅうじ)26世の快翁(かいおう)和尚が、繁多寺の第7世住職となっています。
その後も高僧が住職を務め、江戸時代には徳川家の帰依を受け、4代将軍の家綱が念持仏としていた3体のうちの歓喜天(かんぎてん)を祀るなど、繫多寺は36坊と末寺100余りを有するほどの大寺として栄えました。しかし明治の廃仏毀釈令で寺領は大きく削られることになります。
見どころ
【歓喜天像】財産や身分などの富や、厄除け、夫婦和合、商売繁盛などの御利益があるとされています。歓喜天の縁日が毎月16日に開かれています。
次の51番札所「石手寺」まで約3㎞(車で約10分)です!