四国遍路にゆかりのある人物って一体どんな人達?

2023年5月28日

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弘法大師(空海)

弘法大師は774年(宝亀5年)に現在の香川県善通寺市(旧:讃岐国屛風浦)に生まれます。父は佐伯直田公(善通)、母は玉寄御前です。幼少期の呼び名は真魚(まお)で、大変聡明な子だったといわれています。

774年0歳誕生。
791年18歳都の大学で学ぶ。中退。
795年22歳空海と名を改名。
797年24歳『三教指帰』を著す。
804年31歳最澄と唐へ。
815年42歳四国霊場を開創。
828年55歳綜芸種智院を創立。
835年62歳高野山奥の院で入定。

行基

668~749年。川内(現在の大阪)に生まれました。諸国を巡りながら布教活動をしたり、寺院を建立したりしています。橋やため池を作るなどの社会事業にも力を尽くしました。

743年(天平15年)には奈良の東大寺、大仏国家プロジェクトに抜擢され成功に導いたことで有名です。日本で初めて「大僧正」の位を授けられます。

四国霊場の88ヶ所のうち、29寺が行基によって開基したといわれています。

一遍

一遍(1239~1289)は時宗の開祖です。

伊予の豪族の河野一族の一人として生まれました。祖父である河野通信が1221年の承久の乱で後鳥羽上皇側に味方した為、所領のほとんどが没収され、生まれたころには河野家は没落していました。

父の河野通広(みちひろ)(?~1263)は出家し如仏(にょぶつ)と名乗っており、一遍も10歳の時に出家します。

青年期を大宰府、その後は各地で修行に励みます。熊野に参龍し踊念仏を感得して以後、阿弥陀名号の札(算)を配りながら諸国を行脚しました。それゆえ「遊行(ゆぎょう)上人」や「捨聖(すてひじり)」と呼ばれています。

一遍は晩年に亡くなった父が所蔵していた『浄土三部経』を繁多寺に奉納しました。

智証大師(円珍)

814~891年。智証大師の母は弘法大師の姪です。幼少期は日童丸(にちどうまる)と呼ばれ、子どもの頃から神童とされていました。

真念

土佐出身。四国遍路を庶民が信仰できるように広げました。寺には属さずに托鉢して修行する遊行僧です。1687年著『四国邊路道指南』をはじめ、お遍路を紹介する本を著しました。

88ヶ所という概念はありましたが固定化されておらず、霊場の数も100を超えていた時期がありました。それを真念が88ヶ所に固定したのです。

案内人

お遍路を作った人物と言えます。

その他

Posted by いけち