一度は行ってみたい東洋のマチュピチュ。愛媛県新居浜市の別子銅山の東平(とうなる)が幻想的。
四国の中北部、瀬戸内海工業地域にある愛媛県新居浜市の別子銅山は昔、銅の採掘がとても盛んでした。
[speech_balloon id="11″]「銅(あかがね)のまち にいはま」というキャッチフレーズもあるよ。[/speech_balloon]
あかがねとは銅のことであり、2015年に完成した新居浜駅前のあかがねミュージアムの外壁には銅板があしらわれています。
臨海工業都市と言われ、住友金属鉱山をはじめ、住友化学、住友重機など住友グループの主要工場が立地しています。
別子銅山とは(近代化産業遺産)
太古の昔、この地がまだ海底にあった時代、海底火山活動によって国内最大規模の鉱脈といえる銅を含んだ鉱床が形成されました。(その規模は長さ1800m、厚さ2.5m)
1690年(元禄3年)、標高1,000mを超える別子山村に良好な鉱脈があることを確認した住友は、さっそく翌年から採掘を開始。1961年(元禄4年)の開坑から1973年(昭和48年)の閉山まで一貫して住友家が経営し、住友が巨大財閥となる礎を築きました。
別子銅山は江戸時代に発見されてから280年間で70万トンの鉱石を産出し、5000人もが暮らす鉱山町として発展しました。総産銅量は日本で二番目に多い地です。有数の銅鉱山としてその名を天下にとどろかせたのです。
鉱山を掘り進めていく中で、採掘本部が移転して昭和の後半に閉山されてからは、人や建物も姿を消し、残された一部が産業遺産群として残されています。
近代産業遺産の宝庫として金銀銅の産地である、新潟県佐渡市(金山)、島根県大田市(銀山)、愛媛県新居浜市(銅山)の三市町が集まって「金銀銅サミット」が2006年(平成18年)に開催されました。
東平(東洋のマチュピチュ)
大正5年~昭和5年にかけて採掘本部が置かれていた場所が東平ゾーンです。
マイントピア別子の東平ゾーンは標高750mの空中都市で、『東洋のマチュピチュ』と呼ばれています。新居浜市の山中にある別子銅山の産業遺跡群です。
最盛期、東平ゾーンにはたくさんの人が暮らしており社宅や小学校、劇場もありましたが、そちらの跡は残念ながら残っていません。
標高が高い所にあるため見晴らしがよく、天気が良ければ新居浜市街と瀬戸内海の絶景を眺めることができます。
上から見下ろすと下記のような感じです。遺跡感がありますね。
山の中なので桜や紅葉が映えて、行くたびに違う顔を見せてくれます。
エリア内には最盛期の町並みや学校の様子をリアルに再現したジオラマが展示されている東平歴史資料館があります。
東平(とうなる)への行き方
マイントピア別子本館の『端出場(はでば)ゾーン』(標高:約150m)から11㎞ほど離れた山中に、『東平(とうなる)ゾーン』(標高:約750m)はあります。
時間にすれば自動車で30分ほどです。
日産ノートを運転していきました。道は狭い所がありますが、小型の乗用車で十分行くことができます。
マイントピア別子では、東平行き定期観光バスツアーなども行われています。お車の運転が不安な方は是非利用してみたら良いかと思います。
まとめ
今は人の気配のない山の中ですが、ここでたくさんの人が働き生計を立てていたのだと思うと不思議な感じですね。
山の中なので季節によっては、桜や紅葉が美しいです。お車で行かれる方は、道中十分にお気を付けくださいね。
10月には四国三大祭の中の新居浜太鼓祭りも実施されています。
時期が合えば紅葉とお祭りの両方を味わうことができますよ。
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