仏像が最初につくられたのは。仏像にもトレンドがあるって知ってた?
仏像のモデルは紀元前五世紀頃に実在した人物である【お釈迦様】です。(※時代は諸説あり)
お釈迦様が亡くなった後、弟子たちはお釈迦様の姿を像にすることを禁じていました。これはお釈迦様があまりにも偉大な方であったため、形にすることは不可能だと考えたからです。
その代わりに遺骨(仏舎利)を納めた塔などを礼拝していました。
お釈迦様をモチーフにした物語もたくさん作られましたが、そこにもお釈迦様の姿はまだありません。
物語の場面が仏塔の壁面に浮き彫りにされますが、そこに刻まれたのは様々なシンボルの模様です。
仏像がようやく作られたのは、紀元一世紀後半に西インドのガンダーラで、続いて紀元二世紀に中部インドのマトゥーラでになります。
仏像をつくるのも大変だったんだね。
紀元前後にはお釈迦様以外にも、様々な仏さまが考え出されて作られるようになりました。
日本の仏像トレンド
日本に仏像が伝わったのは六世紀(飛鳥時代)になってからです。
年表 | 時代 | 特徴 |
538~644 | 飛鳥仏(あすかぶつ) | ・アルカイック・スマイル ・やせ型 |
645~709 | 白鳳仏(はくほうぶつ) | ・童子顔 |
710~752 | 天平仏(てんぴょうぶつ) | ・写実的 |
753~793 | ・豊満な体型 | |
794~805 | 平安前期 | ・肥満型 ・手が長い、頭大きい等 ・木彫物が主流 |
806~1191 | 平安中後期 | ・寄木造が登場 ・バランスよい体型 ・優美な光背 |
1192~1337 | 鎌倉時代 | ・写実的 ・ダイナミック ・玉眼 |
1338~ | 室町・江戸時代 | ・これまでのまとめ |
止利仏師(とりぶっし)は飛鳥時代を代表する仏師で、奈良にある法隆寺の釈迦三尊像の作者です。
- 唇の両端が少し上がったアルカイック・スマイルが特徴的
- 衣のひだが左右対称
平安前期
平安時代に入ると、肥満型の仏像に加えて、手が長かったり頭が大きく膨らんだ仏像が作られるようになりました。
仏像のパワーを表現しようと強調されたものだと言われています。
806年には唐に留学していた空海が日本に帰国後、真言密教を開きました。
これがきっかけで曼荼羅や明王像などの密教美術が、日本でも知られるようになったんですね。
特に不動明王は根強い人気を誇るようになりました。
平安後期
平安時代には木彫物(もくちょうぶつ)が主流になりつつありました。この流れを受けて、定朝(じょうちょう)が寄木造(よせぎづくり)を広めました。
寄木造はいくつかの木材を合わせて、一体の仏像にするという手法です。この手法は当時とても画期的な考えでした。
小分けにして作成できるので、大きな作品も作りやすいですよね。
平安時代後期には、貴族の間で極楽往生(おうじょう)への願望が急上昇します。
阿弥陀如来に空前のブームが到来したのです。
仏像様にも流行があったなんて驚き!
定朝の代表作で京都の平等院にある阿弥陀如来坐像は、こうした世相を背景に誕生したんですよ。
定朝が使った様式は定朝様式と呼ばれました。