四国遍路にゆかりのある人物って一体どんな人達?
弘法大師(空海)
弘法大師は774年(宝亀5年)に現在の香川県善通寺市(旧:讃岐国屛風浦)に生まれます。父は佐伯直田公(善通)、母は玉寄御前です。幼少期の呼び名は真魚(まお)で、大変聡明な子だったといわれています。
774年 | 0歳 | 誕生。 |
791年 | 18歳 | 都の大学で学ぶ。中退。 |
795年 | 22歳 | 空海と名を改名。 |
797年 | 24歳 | 『三教指帰』を著す。 |
804年 | 31歳 | 最澄と唐へ。 |
815年 | 42歳 | 四国霊場を開創。 |
828年 | 55歳 | 綜芸種智院を創立。 |
835年 | 62歳 | 高野山奥の院で入定。 |
行基
668~749年。川内(現在の大阪)に生まれました。諸国を巡りながら布教活動をしたり、寺院を建立したりしています。橋やため池を作るなどの社会事業にも力を尽くしました。
743年(天平15年)には奈良の東大寺、大仏国家プロジェクトに抜擢され成功に導いたことで有名です。日本で初めて「大僧正」の位を授けられます。
四国霊場の88ヶ所のうち、29寺が行基によって開基したといわれています。
一遍
一遍(1239~1289)は時宗の開祖です。
伊予の豪族の河野一族の一人として生まれました。祖父である河野通信が1221年の承久の乱で後鳥羽上皇側に味方した為、所領のほとんどが没収され、生まれたころには河野家は没落していました。
父の河野通広(みちひろ)(?~1263)は出家し如仏(にょぶつ)と名乗っており、一遍も10歳の時に出家します。
青年期を大宰府、その後は各地で修行に励みます。熊野に参龍し踊念仏を感得して以後、阿弥陀名号の札(算)を配りながら諸国を行脚しました。それゆえ「遊行(ゆぎょう)上人」や「捨聖(すてひじり)」と呼ばれています。
一遍は晩年に亡くなった父が所蔵していた『浄土三部経』を繁多寺に奉納しました。
智証大師(円珍)
814~891年。智証大師の母は弘法大師の姪です。幼少期は日童丸(にちどうまる)と呼ばれ、子どもの頃から神童とされていました。
真念
土佐出身。四国遍路を庶民が信仰できるように広げました。寺には属さずに托鉢して修行する遊行僧です。1687年著『四国邊路道指南』をはじめ、お遍路を紹介する本を著しました。
88ヶ所という概念はありましたが固定化されておらず、霊場の数も100を超えていた時期がありました。それを真念が88ヶ所に固定したのです。
お遍路を作った人物と言えます。